★ 支部だより

北海道 大 湊 下 総 横須賀 湘 南 舞 鶴 関 西    福 岡 佐世保 鹿児島

役員等
顧 問 池 田   努 
会 長 中 野  善次郎 
副会長  平 田  辰 雄
副会長
兼幹事長
 立 元  四 郎
連絡先  〒892−0871 鹿児島市吉野町1907
  立元 四郎


平成二十三年「東郷平八郎記念日」式典 

 式典当日、6月5日(日)、昨夜来、ザーザー激しい雨音がする。やはり雨か、昨日、会場である東郷墓地の清掃は、桜島噴火灰で覆われていたので大変だった。この雨で灰はすっかり流され、きれいになったろうが、テント設営業者は雨対策をどうしているか気がかりであった。いつもより早く、八時前に会場に着いた。
 墓前の大型テント(三間×五間)の2張りは、指示通り、通路を内側に設け2連続きとしていた。献花台及びその通路の上は、これに接して新たにテントを設け、雨に濡れずに献花できるようにして、また、テントの側面に天幕を張り、横雨を塞いでいた。さすがにプロである。これなら問題なくやれると思った。指定席の名札貼りが、配列が変わり、多少手間取ったが、何とか支障のない設営となった。

 今回から式の縮小簡素化を図るため、「海上自衛隊参拝」及び「昼食会」を計画しなかった。これに加えて、雨が降り、1空群のP‐3C表敬飛行もできず結果的に大変簡素なものとなった。余談だが、式典後、「海上自衛隊参拝の儀仗隊や昼食会も楽しみにしていたが、この雨では仕方がないな」といったボヤキが多く聞こえた。次回は検討しよう。

 初めて、鹿児島青年会議所(JCI)の参列があった。JCIの事業で、「子供、薩摩の宝―探検隊」と称して、鹿児島の代表的な「薩摩義士頌徳慰霊祭」や「西郷どんの遠行」等六大行事を、半年かけて巡る小五〜六年生約50人の探検隊が、当式典も選ばれ、参加することになっていた。保護者やJCI会員を含めるとこの一行は約200人が予想されたが、あいにくの雨で、子供20人を含む約80人となった。

 式典が始まる30分前に、JCIに頼まれて、子供たちに、東郷さんの幼少時代(「東郷会」から資料を得た)や会場の東郷元帥ゆかりの墓、銅像等について話した。ほとんどが、58回を数える当式典や多賀山の東郷墓地は初めてであり、西郷さんに匹敵する偉人を知り、驚いている表情が見られた。

 1025、花火の音とともに式次第を説明するうちに、降りしきる雨にもかかわらず、テント内は、ほぼ満員、この度の東日本大震災の御霊に黙祷を捧げ、軍艦旗掲揚(地本海上自衛官)で式典が始まった。

 中野善次郎式典実行委員長(鹿児島水交会会長)の式辞、参列者全員の献花等順調に進み、献花(渡し役:地本女性自衛官)は、式典実行委員長を筆頭に、東郷家ゆかりの方々、1空群司令(池海将補)、地本(福永1等海佐)、県知事・市長代理、国会議員3人等約250人が、整斉と捧げた。

 祝電・祝詞の後、待ち望んでいた海上自衛隊佐世保音楽隊(北村隊長以下32名)の墓前演奏に入った。
 依然としてザーザー降りであったが、澄んだ歯切れ良い音色が心地よかった。  護国の軍神「東郷元帥」から行進曲「軍艦」までの選び抜かれた7曲と解りやすい説明があり、この日のためにと、心のこもった名演奏に参列者全員が陶酔、堪能した。

 すっかり、墓前演奏に魅入っているのもつかの間、「エイエイエー」と甲高い声に覚まされた。示現流の奉納演武が始まったのだ。雨にも負けず、小学生2人を含む12人が、真剣に一太刀必殺の気合で、木刀を横木の束に打ち込む様は、薩摩隼人の凄さを感じた。
 東郷元帥の語録に、「やはり示現流」の一言があるが、その徹底した行動信条が窺われた。

 予定通り1200軍艦旗降下(地本海上自衛官)で、無事終了、深く安堵した。 雨にもかかわらず、約3百人の人出があり、いつもながら、東郷元帥のご遺徳の偉大さに、感銘を受けたしだいです。 (立元幹事長記) 



← HOMEへ ↑ ページトップへ